1Q84と平均律クラヴィーア曲集、Octavariumの意外な関係

200万部を超える売れ行きを見せる、村上春樹の「1Q84」。
Book 1と2ともに、2人の主人公「青豆」と「天吾」の物語が交互に展開する24章の構成である。
【『1Q84』への30年】村上春樹氏インタビュー村上春樹氏:「1Q84」を語る 単独インタビューによると、この構成はバッハの「平均律クラヴィーア曲集」(Das Wohltemperirte Clavier / The Well-tempered Clavier)のフォーマットにしたがっているとのことである。

「平均律クラヴィーア曲集」は全2巻で、ハ長調(C Major)から順に長調と短調の曲が繰り返されるのが特徴である。
「1Q84」では、「平均律クラヴィーア曲集」での長調と短調をそれぞれ「青豆」と「天吾」に置き換えることで、フォーマットに則っている。
また、「1Q84」が2巻構成なのも、「平均律クラヴィーア曲集」が全2巻であることに対応している。
村上氏はそれを踏まえ、「もともと2巻で完結」と考えていたようだ。
私は最初このことに気付かず、「1Q84」は上下巻ではなくBook 1/2とつけていること、また1巻が3ヶ月分のストーリーに対応していることから、将来Book 3と4が出て、それぞれ10月~12月、1月~3月の物語になるとばかり予想していた。
今となっては、Book 3が出るという予想は当たっているが、その根拠は外れであったようだ。
Book 4にいたっては、出るかどうかもわからない(上記記事を読む限り、村上氏はBook 4を出すという発言はしていないが、Book 3で完結とも発言していない)。

Book 2で「青豆」と「天吾」の共通点、そして巻末で物語の終わりを暗示するような記述がある。
インタビュー記事のように、もともと2巻で終わるという想定で書かれたであろう「1Q84」だが、Book 3ではどうなるのか。
また、「リトル・ピープル」を知る手がかりが出てくるのか。
一読者として注目したい。

さて、「1Q84」の構成のモチーフとなった「平均律クラヴィーア曲集」であるが、この曲集(の構成)を見て思い出したのが、2005年にリリースされたDream Theater(ドリーム・シアター)の8枚目のアルバム"Octavarium"(オクタヴァリウム)である。
このアルバムは、私も過去にblogで取り上げたことがある(参考: 何度聞いても奥が深いOctavarium)。

Octavariumに収録された全8曲は、キー(調)がすべてマイナー(短調)であり、1曲目の"The Root of All Evil"から順にF minor(ヘ短調)を根音(root)として順に1音ずつ上がっていく。
また、4曲目と5曲目、7曲目と8曲目の間を除き、曲間に間奏があり、これらのキーはF# minor(嬰へ短調)から順に上がって行く。
これらのキーの関係は、ピアノの鍵盤を表しているともいえる(曲が白鍵盤、間奏が黒鍵盤に相当する。裏ジャケットにはメンバーの顔写真とともにピアノの鍵盤が描かれていることに加え、表のジャケットには球体の集まり(ニュートンのゆりかご)と鳥がピアノの鍵盤を想起させるような関係で配置されている)ほか、C(ド)からB(シ)まですべての音階、およびすべての短調(もしくは長調)の関係を表している、と見ることもできる。
この点は、収録された各曲の調がすべての調(長調/短調)を網羅している「平均律クラヴィーア曲集」にも通じるだろう。
以上から考えると、あくまでも推測だが、Dream Theaterのメンバーは平均律クラヴィーア曲集を参考にして、Octavariumのコンセプトを練り上げたのかもしれない。
ただし、Octavariumの場合、コンセプトの中にフィボナッチ数列も絡んでいる点が、平均律クラヴィーア曲集とは異なるが(Wikipediaの記事に詳しい)。

「平均律クラヴィーア曲集」では、どの曲もプレリュードとフーガの2部構成となっており、演奏時間については多くは10分以内(長くても12分弱)であるのに対し、Octavariumは10分を超える曲が2曲(全体の1/4)という構成になる。
合計の曲の長さがまちまちという点は、両者に共通しているようだ。

もっとも、村上春樹氏は、Dream Theaterなんて見たことはおろか、聴いたこともないのだろうけれど……

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日本の温室効果ガス削減はこれでいいのか - 「「中期目標」に見る日本の本当の危うさ」を読んで

日本が温室効果ガスの中期削減目標(http://www.kantei.go.jp/jp/asospeech/2009/06/10kaiken.html)を出して、もうすぐで1ヶ月になる。
私は、2005年比15%(1990年比8%)削減という目標は、実際に達成できるかどうかという点でぎりぎりの線であり、それゆえ高くはないが低くもない目標でもあると考えていた。
1990年から2005年にかけて温室効果ガスの排出量が増えている(増えてしまった)ことが、その根拠にある。

しかし、中には手厳しい見方をする人もいる。

・「中期目標」に見る日本の本当の危うさ――コペンハーゲンでの大敗北は避けられるか
http://eco.nikkei.co.jp/column/iida/article.aspx?id=MMECcm000026062009

飯田氏は冒頭から、「『世界をリードする目標』のはずが、国内の環境NGOからはもちろんのこと、途上国からも他の先進国からも、そして国連事務総長からも失望や批判の集中砲火を浴びた」「世界の潮流から大きくズレた日本」と批判している。
それもそのはず、飯田氏によれば2005年比15%の削減目標は「1990年基準で8%削減。京都議定書の目標よりもわずかに2%深掘りしただけ」なのだから。
そして「数字遊び」と斬り捨て、「正統性(レジティマシー)を欠いた政治は、自らの正統性をおとしめるだけである」と主張しているのだ。
根拠としては、次の5点がある。

  1. 都合の良い「基準年ずらし」(「90年基準は不公平」であり、政治家の「90年基準はEUにとって有利になる陰謀だ」は妄言、との指摘)
  2. 「日本は省エネ社会」という神話(「日本は世界一のエネルギー効率社会」に見えるのは「満員電車とウサギ小屋」(狭い住宅)があるからとの指摘)
  3. 「京都議定書不平等条約説」(実際は「日本に最大限、配慮した条約」というのが飯田氏の考え。「途上国を含めた削減の枠組みは必要」の点も指摘している)
  4. 日本にだけ有利な「公平性」(日本に都合がよいであろう「限界削減費用」と「GDPあたり対策費用」は「客観的な国際比較が困難」であり、飯田氏いわく「より説得力のありそうな」指標である「「1人あたり排出量」や中国が提唱する「歴史的な排出総量」」は考慮されていないとのこと)
  5. 「悪魔」は細部に宿る(政府が行った世論調査やパブリックコメントでは印象操作が行われている、と飯田氏は主張する)

そのほか、3月中旬に日本経団連が大手新聞へ出した意見公告について、飯田氏は「『国民負担』の大きさを理由に、過大な削減をけん制する内容」「しかもその論拠は、上で述べた『ウソ』が駆使されたもの」と批判している。
広告で使われたマクロエネルギー経済モデルについても、次の3つの問題点を挙げている。

  1. 目先の対策費用や国民負担の違いだけが強調されすぎている
  2. 従来の「古い経済構造」をモデル化したものであり、「新しい経済構造」は表現できない
  3. モデル上で温室効果ガスを引き下げるためには、エネルギー価格を引き上げ、経済活動量を低下させるような想定となっている

「メリットが提示されていないなど、著しくバランスを欠いたかたちで、国民負担の大きさだけを強調する提示の仕方は、『脅し』以外の何ものでもない」とまとめている。
それに対し、マッキンゼーが「グリーンテクノロジーの急速な普及とコストダウン、そしてプラスの経済的恩恵のお陰で、温室効果ガスの濃度を450ppmに抑制するための費用は、わずかにGDPの0.6%以下だと報告している」ことも、記事には載っている。
これが事実であれば、中期目標達成の希望は明るいと私は考える。
グリーンテクノロジーに携わる人たちの士気も上がるだろう。

記事の後半で、飯田氏は「政府がまともな仕事をしていない日本に対して、先行する欧州、そしてオバマのアメリカは、はるかにしたたか」と述べている。
そして、「EUの削減のほとんどは、何と言っても20年までに一次エネルギーの20%導入を各国に義務づけた「自然エネルギー指令」と、段階的に厳しくなる欧州排出量取引制度(EU-ETS)である」こと、アメリカはオバマ政権以後「グリーン景気刺激策」や「全米の排出量取引の枠組みや全米RPS法などを含んだ包括的な温暖化対策法案」である「Waxman-Markey法案」を成立させるなどを指摘している。
これらについて「欧州も米国も、COP15での途上国との交渉を睨んで、「二枚腰の削減目標」を持ちつつ、しかもその両方を達成する現実的な手段も手にしつつある」とまとめている。

このほかに、「日本はほぼ京都議定書の目標がこの2、3年は達成できる」との観測に対し、「本質的な産業構造やエネルギー構造の転換は、いっさい進んでいない」とも指摘する。
加えて、「世界からも日本の存在感は大きく失われつつある」「日本は(中略)、自己矛盾しているばかりか、COP15での交渉を自ら難しくしている」とも主張している。
この飯田氏の主張のように、温室効果ガス削減交渉が厳しくなるという見方が出るということは、日本が世界各国の動向を正確に把握して切れていないという裏返しなのかもしれない。

同じく記事の後半にある、「中期目標へのパブリックコメントで、「90年比+4%」という選択肢が圧倒的多数(74.4%)の支持を集めたとの報告があった」に対し、「経済界による「動員」の結果以外の何ものでもない」というのは、根拠がない限り、飯田氏の思い込みが激しいようにも感じる人がいても仕方ないだろう。
(個人的には、動員は誘導と読み替えてもいいとは思う。根拠さえあれば、だが)。
ただし、「この結果を見て、「異常」と思わない人がいるとすれば、その方が異常なのではないか」の意見は、私も同意する。

確かに、京都議定書の目標と比較すると、中期目標は2%しか削減幅を広げていない。
私の考えは、政府は現時点では目標が低いとの批判は甘んじて受けつつも、時間をかけて目標を上方修正していけば(例: 1990年比10%→12%→15%)、最終的に批判を跳ね返せるだろう、ということである。
さすがに1990年比4%増という目標では、斉藤環境相のコメントのように「世界の笑いもの」になってしまいかねず、それだけはまずいだろうと私は考えていた。
それゆえ、今は中期目標が低くても仕方ない、とも考えている。
だが、それではダメなのだろう。
温室効果ガス削減交渉は国益と国益のぶつかり合いになるからだ。
それだけに、世界各国の動向を踏まえ、かつ技術進歩による温室効果ガス削減を可能な限り進めることが重要になる。
その一方で、目先のことばかり考えるのではなく、50年後、100年後、数百年後、千年後、……の地球を守るという広い視野を持つことも必要と、私は考える。

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「知的財産推進計画2009」で医療特許は変わるのか

先日、「知的財産推進計画2009」が発表された。


今回の目玉は、医療分野における特許保護の見直しだろう。
iPS細胞の特許問題がクローズアップされる中、日本における医療技術の進展を促すために必要な特許のあり方を、計画を立てた人たちが議論を重ねてきたことは、資料から伝わってくる。
その中で、「先端医療分野の特許保護に係る我が国の取り組むべき課題」において、次の3つの課題を取り上げている。
  1. 審査基準における特許対象の明確化が必要
  2. 特許対象範囲の見直しが必要
  3. 研究者等に対する先端医療特許取得への十分な支援が必要

そしてそれぞれについて、例えば最初は効率的な投薬(DDS: Drug Delivery System)の特許などを示し、わかりやすく課題への取り組みを示している。

今後、医療従事者や医療機器メーカーなどは、上記のあり方を踏まえたうえで、特許や知的財産に対する戦略を考えていく必要があるだろう。
そして、上記に挙げた課題を解決していくことで、医師にも患者にとっても「よりよい医療」の提供が進めば、と考えている。

私は、医療方法特許の功罪で書いたように、「医療方法特許については、欧米など他国の現状も踏まえつつ、医療関係企業のやる気を引き出す申請制度とし、よりよい医療の提供につなげ、医師や患者にとってプラスとすることが大切であろう」という考えを持っていることに変わりない。
その意味では、今回の「知的財産推進計画2009」により、よりよい医療の提供に向けて少しは前進しているのだろう。
今後を注意深く見守りたい。

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浦和・フィンケ監督の目指すコンビネーションと「個の力」とのバランス・融合

日本を出なければ未来はないのかで紹介した、大樹や長いものに身を委ねるなの中に、「自力で世界の舞台で戦える「個の力」が、一人ひとりに問われてきます」という一節がある。

しかし、一方で「個の力」に頼らない組織を目指すところもある。
浦和レッズである。
サッカーと実際の社会は異なるが、それでも参考になる点はある。

レッズは昨シーズン終了後、ブンデスリーガのフライブルグ監督を16年務めた、フォルカー・フィンケ氏を監督に迎えた。
ドイツでは数多くのサッカー関係者が「素晴らしい人」と話し、ジェフにオシム氏を招聘した祖母井秀隆・グルノーブル代表も日刊スポーツやNumberの連載やインタビューで「いずれ仕事をしたい」と言わしめたほどの逸材である。

就任から約半年。
以下の「浦和に見えてきたフィンケ改革の成果」にあるように、フィンケ監督は「コンビネーションサッカー」を掲げており、その成果はナビスコ杯決勝トーナメント進出などで現れつつある。
コンビネーションサッカーというのは、字の如くコンビネーションを重視するサッカーで、個人技、つまり「個の力」に頼ってきたここ数年のレッズの戦い方とは違うようである。

個人の力だけではダメ、かといって組織の力だけでもダメ。
そのことをフィンケ監督は伝えようとしているのか。
そして、レッズにおいて「個の力」と「組織力」をどう融合させるか、フィンケ監督は若手の活用という試行錯誤をしながらも答えを見出そうとしている。
しかも、時に日本代表の主力選手やケガの選手を欠くという、厳しい逆風の状況を逆手に取りながら。
その答えは、タイトル奪取という形で現れるだろう。

「個の力」と「組織力」の融合は、サッカーに限らず、バスケットボールなど他のスポーツ、そして学問(研究)やビジネスなど、さまざまな場面で大切なことだ。
ビジネスにおいて、世界を舞台に活躍するには、最初の記事で紹介したように「個の力」が問われるであろう。
だが、個の力だけで何とかなるほど、世界は甘くはないはずだ。
だからこそ、最初の記事の著者である永田氏は、「組織力」の1つである、世界につながる人的ネットワークの重要性を説いているともいえる。

そして何より、「個の力」と「組織力」の融合には、バランス感覚も重要だ。
片一方だけが突出していては、欠点が見えやすくなる。
また状況に応じて、「個の力」と「組織力」の最適なバランスは異なるだろう。
それを見極め、うまく2つの力を伸ばし、活用することも、これからの私たちに求められているのかもしれない。

・[独占インタビュー] フォルカー・フィンケ “ドイツのオシム”は浦和をどう変えるのか。
http://sports.goo.ne.jp/soccer/japan/722/20090212-2-1.html
・攻撃追求“恋人”フィンケ監督に期待
http://www5.nikkansports.com/soccer/ubagai/entry/20090224_75437.html
・浦和に見えてきたフィンケ改革の成果
http://sportsnavi.yahoo.co.jp/soccer/jleague/2009/text/200904060003-spnavi.html
・【新春インタビュー】藤口光紀代表「新生レッズのスタートの年としなければならない」
http://news.livedoor.com/article/detail/4015130/
※肩書きは当時

・ドイツでフィンケ監督の評判を聞きました!
http://www.actiblog.com/kotani/79272
・フィンケ監督のニュースなど浦和に明るい話題が増えてきた!
http://plaza.rakuten.co.jp/hirorotree/diary/200811110000/

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日本を出なければ未来はないのか

日本を出よ~留学の必要性と関連した、こんな記事を。

大樹や長いものに身を委ねるな
http://bizplus.nikkei.co.jp/colm/nagata.cfm?i=20090610cy000cy

簡単な紹介だけ。

表現はソフトだが、じっくり読むと大切なことが書いてある、この文から始まる。
「もはや私たち一人ひとりの競争相手は同じ職場の中や日本人だけにとどまらず、中国人、欧米人、インド人など世界の人たちとなっています。(中略)こうなると所属する国や企業に頼らず、自力で世界の舞台で戦える「個の力」が、一人ひとりに問われてきます。そして、こうした力を持つ人が少ない国や企業は世界から孤立し、忘れられていきます」
今の社会は世界全体が相手であることぐらいわかっている、いちいち書くにも値しない、そう思っている人もいるだろう。
そういう人は、上の記事を読む必要はないだろう。
だが、世界全体が競争相手であることを知らない、あるいは意識できない人たちは、読んでおいたほうがいいだろう。

著者の永田氏は、世界につながる人的ネットワークの重要性を、次のように説いている。
「生の情報を交換し合う人的ネットワークをいかに世界に広げるかが鍵となります。(中略)社内の人間と一席交わしたり、業界人脈づくりや異業種交流会に参加したりでは、しょせん日系企業に勤めるサラリーマン同士の情報交換の場です。外の世界が見えません。つまり、海の向こうにあるチャンスとリスクが見えず、世界の多様な価値観の存在すら気づかない井の中の蛙(かわず)となります。時とともに自分たち(個人・会社・国)の常識が世界の非常識になって孤立します」

そして、受身型ではなく、先を読んで対応することの大切さを述べている。
「日本には政治家や官僚、企業幹部を含め、こうしたグローバルな大局観を持って先取り型の対応をする人が少ないのではないでしょうか。受け身型の「寄らば大樹の陰」を好む姿勢といえます。グローバル化への先取り対応は新しい課題への大きなチャレンジです。リスクが大きくなり、失敗することもあるでしょう。たとえ失敗してもチャレンジは社会から賞賛されるべきです。だが日本ではリスクを取りたがらない、または取っても失敗の後遺症を長年ひきずり再チャレンジしにくい社会環境にあるため、長いものに巻かれたがる人たちも増えるのだと考えます」

「大樹の陰に寄りたがる国や企業の運命は、競争力の低下と衰退です。理由は簡単です。皆が向かっていきたいと思う実現性のある、まともな将来ビジョンが存在しないからです。(中略)そこにはビジョンに向けた強いリーダーシップが当然働きません。日を追うごとにビジョンと実態がかけ離れていきます。この乖離(かいり)が国民や社員の希望と士気をそぎ、国や企業の競争力を失う一方、「言ってもしょうがない。考えてもしょうがない。長いものに巻かれてしまえ」という国民や社員だけが多くなります。そうなると、革新どころか停滞・縮小、負のスパイラルへ突入です」

最後に、「比較的規制に守られ安定した業界の大手企業」へ学生の人気がシフトする中、「何とか今の会社にとどまろうと必死に忍び耐える」勤続10年以上の社員を念頭に、著者はこう述べている。
「これからは安定企業というのは規模にかかわらずどの業界でもなくなります。今からでも遅くありません。大樹の陰に寄らず、世界を直視し、独力で自分を磨き、自らキャリアプランを立て、自らの力を信じて羽ばたいてほしいと……。独力で世界を舞台に戦える人が増えて初めて、日本の将来に再び明るい灯がともると信じています」

この著者も間接的に、「日本を出なければ未来はない」というようなことを説いているのだろう。
ただ、海外で働くことは、あくまでも自己実現のための手段であり、それ自体が目的と化すことはあってはならない。

もっとも、今の世界情勢を考えると、日本を出るにしても、日本にとどまるにしても、茨の道が待っているのかもしれない。
まさに進むも地獄、退くも地獄。
結局は、自分で自分の道を切り開かなくてはいけないのだ。

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レイカーズが勝った!!

NBAファイナル、レイカーズが7季ぶりに優勝したらしい。
昨季はセルティクスと名門同士の戦いで、負けてしまった。
今季は相手こそマジックと違うけど、雪辱を晴らせた。
よかった……

レイカーズの試合はほとんど見るチャンスはないのだけれども、結果は出ているから、選手のチームワークがうまくかみ合っているのかな。
特にコービー・ブライアントは、オニール(シャック)が移籍してからNBAファイナルから遠ざかっていたので(上の通り、昨季含めあと一歩で優勝を逃すことがあった)、自分の実力を証明する上でも大切なファイナルだったのかも。

監督のフィル・ジャクソンはなんと10回目の優勝で、NBA記録更新だそうな。
ジャクソン監督は過去に3連覇を3回やっているので、もう1回3連覇してくれないかな。
そうしたら、セルティクスと優勝回数が17回で並ぶんだけどな(追いついたらすごい)。

PS いまさら書いてもしょうがないけど、ペイトンやマローンがいた数年前に、ファイナル制覇出来ていたらな(このとき、最後の最後で負けちゃったんだよね、レイカーズ)……

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音楽産業のビジネスモデルを考える

久しぶりに音楽の話題を。

・音楽産業のビジネスモデル研究会 報告書
http://www.meti.go.jp/press/20090527004/20090527004-2.pdf

微妙な表現や気になる箇所は多少あるが、全体としてはよくまとまっているのでは。

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大学進学に見る格差の固定

日本では諸外国と比べ、子供を大学へ通わせるのにお金がかかるといわれている。

・現在の世界各国の大学の学費
http://r25.jp/b/wp/a/wp/n/%91%E5%8Aw/i/%8C%BB%8D%DD%82%CC%90%A2%8AE%8Ae%8D%91%82%CC%91%E5%8Aw%82%CC%8Aw%94%EF

上記記事によれば、『経済セミナー No.636』において、「日本の国立大学の学費は極めて高く、高等教育の機会が経済的側面において公平に確保されているとは言えない」、「国公立大学でも諸外国との比較で重い負担を強いられている」ことを指摘している。

また、「国公立大の授業料を引き下げよう」(http://mainichi.jp/select/biz/katsuma/crosstalk/2009/05/post-17.html)では、「経済協力開発機構(OECD)主要12カ国の中で、日本の家計に占める教育費負担の割合は22%」とある。これが少子化や格差固定、内需不振の弊害を生んでいると、記事では指摘している。

こちらでは、先進国の多くは大学授業料が日本よりもずっと安いなど、諸外国の学費の違いをまとめている。
http://www.jcp.or.jp/youth/gakuhi/co_01.html

そして、親の所得格差がもたらす教育への影響を問題視している方もいる。

・「教育費をタダにせよ」親の所得格差が生み出す教育格差は亡国への道
http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20090407/191216/

上の記事の著者は、大学通学にあたり、「子どもの教育費を払い続けるのは至難の業と言っていい」、「親の所得によって、教育の格差がつく」などと指摘している。
そして、スウェーデンを引き合いにして、教育などの制度が作り出す社会の安心について説明をしている。

参考までに、アメリカのレポートを紹介する。
- Promoting Economic Mobility by Increasing Postsecondary Education
http://www.brookings.edu/papers/2009/05_economic_mobility_haskins.aspx?emc=lm&m=225382&l=17&v=1137380
大学へ通うと収入が上がること、貧しい家庭では大学進学率や中退率が低いことを挙げている。
その解決策として、奨学金の再構築などを提案している。
アメリカでは奨学金制度が知れ渡っていない、また貧しい家庭では返済義務のある奨学金は避ける傾向がある、などの話もあるようで、こういったことが問題を大きくしているのかもしれない。
大学へ行けば収入が上がり、格差の固定を防ぐことは出来るが、大学へなかなか進まない、あるいは入っても中退してしまう。
上で書いたアメリカの実態は、日本でも当てはまる面があるだろう。
だからこそ、上の報告書にある指摘を他国のことと流すのではなく、反面教師とすべきである。

さらに、このような記事もある。

・「大企業」「大卒」「正社員」が有利―日本人の貧富拡大
http://president.jp.reuters.com/article/2009/02/18/9021DD46-F97E-11DD-849B-AB073F99CD51-1.php

これまで取り上げた記事のように、大学に通わせるにもお金がかかる。
それゆえ、「学歴による年収格差は子ども世代においても学歴格差を招き、ゆくゆくは年収格差を固定する方向に働きかねない」ことの理解が必要だと、記事では書いている。
さらに上記記事では、「常識的で平凡だが、非常に重い意味を持つ教訓」として、「できるだけ大きな企業へ正社員として就職する」、「高卒時点ではなく、大学や大学院を出てから入社試験にチャレンジする」ことをあげている。

もっとも、国公立大学の授業料を安くしても、その分は税金で穴埋めされるだろう。
そうなると、大学の費用負担を国民全体で広く浅く行うことになるので、国民の理解が得られなくてはいけない。
その点は重要だろう。
「国公立大の授業料を引き下げよう」にあるように、「国公立大の学費、入学金は所得に応じたスライド制に」のアイディアなどさまざまなアイディアを出し、国民に受け入れられやすい方法を決めていくことが、今後は大切になるか。
あとは、無料にしたらしたで問題はあるだろう(在学年限がなく、かつ授業料も安いヨーロッパでは、学生がずっと大学に残るといったことがあるらしい)。
そういった点も踏まえ、大学の費用の負担を考えていくべきである。

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日本を出よ~留学の必要性

・海外で勉強して働こう
http://www.chikawatanabe.com/blog/2009/04/future_of_japan.html

冒頭の

1)日本はもう立ち直れないと思う。
だから、
2)海外で勉強してそのまま海外で働く道を真剣に考えてみて欲しい。

が印象的。

日本に留まりたかったら、一度は留学しておくべき
http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/51206791.html
では、こう書いている。

現実は実はもっと厳しい。
(中略)
「海外を知らないと日本に留まる資格もない」になりつつあるということは、日本という「怪物」が弱っていることの裏返しでもある。もはや日本を支える人材を、日本国内だけで育てることが無理なのだ。

dankogai氏の上記記事をはじめ、渡辺千賀氏のblogにはさまざまな反響があったようだ。
渡辺氏の記事については、極端に書くと「日本を捨てろ」などの誤解もあったようで、後に本人がフォローの記事を書いている。

・国や組織はどういう時に良くなるか
http://www.chikawatanabe.com/blog/2009/04/how_things_get_better.html

記事のはじめでは、海外に出た人たちが後に「行った国と日本をつなぐ仕事をする」など海外経験を生かすことで、「日本の将来の担い手になったり、日本の国際社会からの孤立を救うことになる」とまとめている。
「(ちなみに、海外=アメリカ、留学=アメリカ、ではありません。もっと広く「自分にあった場所」を探すのがよろしいかと。)」ともまとめている。
これはもっともである。
数多くの国がある中、アメリカ以外の国にも目を向けることは重要だ。
世界のよいものを日本に取り入れつつ、日本として大切にすべきものをきちんと大切にしていく上でも、心にとどめておきたいものだ。
(ついでに書くと英語=アメリカ英語でもない)
アメリカ中心に物事を見る悪い癖が付いている人にとっては、注意すべき点だろう。
そのほか、上記記事では次の指摘もしている。
「どんな組織も20代にはやる気のあふれた人たちが、30代には「本当はこうすればよいのに!」という斬新かつ具体的な革新案・改革案を持った人がたくさんいるもの。(こういう人たちがいなかったら、その組織は本当に終わっている。)そして、よい組織とは、上層部が、そういう人たちをきちんと引き上げて登用し、彼らのアイデアを実行に移していける組織」
「今の日本の最大の問題は政治」
さらにGDPが十数年前と比べ低下していることも指摘している。
最後はこう結んでいる。

「海外に行きさえすれば何とかなる」、とか、「留学さえすれば何とかなる」、というほどには世の中は甘くない。(中略)自分自身に力がついていきさえすれば、必ず道は開けることでしょう。

このままでは、日本の国際的地位は低下していくだろう。
上で書いたことの繰り返しになるが、このようなときだからこそ、「世界のよいものを日本に取り入れつつ、日本として大切にすべきものをきちんと大切にしていく」必要がある。
そのためには、日本を出て、世界で学ぶ必要があるのかもしれない。
いくらインターネットが普及し、世界の情報が日本にいながら手に入るとはいえ、世界の人たちと直接会えるわけではなく、人と人との出会いから得られる「情報」や「学び」もある。
この点はインターネットが普及した現代だからこそ、考えるべきことである。

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知の構造化と温暖化懐疑論

少し前の記事。

・「知の構造化」で温暖化懐疑論に終止符を
http://eco.nikkei.co.jp/interview/article.aspx?id=MMECi1000006042009

温暖化懐疑論に対し、小宮山氏は次のように述べている。
「懐疑論者は『温度の補正が不十分』とか『温暖化の原因は水蒸気』とか『太陽の活動が活発になれば温暖化する』などと指摘しています。しかしそういったことを科学者たちが考えていないはずがないじゃないですか。全部わかった上での話をしているわけです」
また、懐疑論については反論できる上、懐疑論者はIPCCの報告書をちゃんと読んでいないと斬り捨てている。

「ジグソーパズルのピース(知識の断片)を集めて全体像を描く作業」である「知の構造化」を、地球温暖化のような複雑な問題に対し、どう適用していくか。
期待したい。

・参考
地球温暖化研究者が斬る
http://danpaleta.cocolog-nifty.com/blog/2009/02/post-1a5b.html

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«NTTドコモのメールアドレス、ようやくルール変更