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October 2007

手段と目的を履き違えないのは当たり前

企業の長期戦略を支えるIT系人材育成のポイント
http://premium.nikkeibp.co.jp/itm/spe/21/

「スキル標準を目的化してはいけない」で、「佐々木教授は、スキル標準の導入や整備はあくまで手段であり、IT業界の魅力度と国際競争力を高めるという、本来の目的を取り違えてはいけないと警告する」と書いている。
ただ、手段と目的を履き違えないという当たり前のことをことさら強調されても、コメントのしようがない。
逆に考えると、手段と目的を取り違えている人があまりにも多いから、こういうことを警告しなければいけないのかもしれないが。
あと、これも本文に似たようなことが書いてあるが、スキル標準という枠にとらわれてもいけないだろう。
全体としてはまあまあ参考にはなる。

ただ、普通の会社員から抜け出すには、上で書かれていることのさらに上を目指し、時には自律的に行動しなければ、おそらく無理だろう。
スキル標準に従って決められたレールの上を走っていれば安泰などと、甘い考えは捨てたほうがいい。
なぜなら、そんな考えが通用すれば何の苦労もないのだから。

高い環境で簡単なことを確実に

J1の浦和レッズが、24日にACL決勝進出を決めた。
決勝の相手は川崎フロンターレをPK戦で下した、イランのセパハン。
今でこそ、レッズはACL優勝やJ1の2連覇が目前だ(そして両方を勝ち取り、クラブW杯で勢いそのままに活躍することを信じている)が、1999年には元得点王・福田正博の「涙のVゴール」でJ2に降格し、2000年はコンサドーレ札幌とJ2優勝を激しく争うも引き離され、最終戦にVゴールの末J1復帰を決めるなど、苦しい状況にあった。
その2000年、インタビューで福田はこんなことを語っていた(小齋秀樹著「Goalへ 浦和レッズと小野伸二」より引用・抜粋)。

「難しいシュートなんて、決める必要はない」
「いかに簡単なシュートを決めていくかっていうのが、僕は大切なことだと思っているんですよ。そして、その前提として、ゴールするために良い動きをするってことが重要なんだよね」
「武田(註: 武田修宏、元サッカー日本代表)はそういう動きを何度も何度も繰り返して、たまたま結果として何回かそういう(註: 味方のシュートのこぼれ球を押し込む、などの)シーンがあるだけで、労を惜しまずにゴールするための動きをしてると僕は思うんですよ。そういう選手のところに、大切なときには必ず何かが微笑んでくれる、僕はそういう気がするんだけどね」

「高いレベルを想定すること自体が心理的な負担になる」
「そもそも高いレベルを想定してトレーニングを積むのではなく、環境が高いレベルにあればいいのだ」
「一番大切なのって環境を作ることでしょ。(中略)厳しい環境を作る、競争ができる環境をうまく使っていくかで競争が生まれるんだからさ」
(小野伸二の置かれた状況について)「そういう(註: 低い)環境の中で自分は高いモチベーションもってやんなきゃいけない。やんなきゃいけないって思ってること自体もうストレスだからね。そんなのは選手が抱えちゃいけないストレスですよ。グラウンドに出たら、もう自分のプレーを精一杯やればいいという環境が作られていれば、 <高いモチベーションを持って> なんてこと一切必要ないよね。だけど、グラウンドに出て、どうもそういう雰囲気ではないと思ったときに、それでも彼はやっぱり高い意識を持ってやらなきゃいけないって思うわけですよ。 <もっと高いとこ向いてやんなきゃいけない> って。それを毎日思い続けなきゃいけないわけでしょ。これは並大抵なことじゃないですよ。自分で環境をどうにか変えてやる、こんなストレスはないよね。それはシーズン通しては続かないよね。残念だけど」

現在のレッズは、上で福田が語った問題点はほとんど解決しているだろう。
そうでなければ、現在の地位はないはずだから。

(追記: 「難しいシュート」の下りについては、小齋氏本人による以下の記事も参照のこと。
・一つもなかった‘スーパーゴール’
http://www.resonacard.co.jp/reds/onceupon/column_0304.html

簡単なシュートを決めていくことの大切さは、バスケットボールなどシュートのあるスポーツでは当てはまることが多いだろう。
もちろん、大学の研究やビジネスなどにおいても、難しい方法ばかり追い求めるのではなく、簡単な方法や仕事を着実にこなしていくことが、最終的には大きな成果を生むことにつながる。
私自身も、大学時代の研究で似たような経験をしているので、実感はある。

また、相手やチーム・組織のために「労を惜しまずに」働くことで、「大切なときには必ず何かが微笑んでくれる」ことも、良くあることではないだろうか。
努力がいつか報われるのと同じように。
バスケットボールでも、普段から積極的に攻守に走り回れば、経験上いいポジションが取れることにつながるし、また味方からパスも出してくれるようになる。

環境が高いレベルにあるなら、一所懸命に自分のことをやれば、結果もついてくることが多いのではないだろうか。
また、自分の成長も早いだろう。
仕事で言うなら、「職場に出たら、もう自分の仕事を精一杯やればいい」という環境が作られているのが理想なのだろう。
私がインターンシップを経験したときは、周りの環境の高さが自分の成長を促してくれたことを憶えている。

ただ、現実はそうではないという方もいるかもしれない。
ぬるま湯と化した今の状況に安穏とし、「井戸の中の蛙」になってしまうこともあるだろう。
もっと「高いレベルを想定」しなければ、自分の成長はないにもかかわらず。
今の私の立場はそれに近いことを、それとなく感じている。
ただし、高い環境にいるためには、自分の能力がそれに見合ったものでなければならないだろう。
自分の能力のなさを棚に上げ、環境が低いと嘆いたところで、何も変わらない。

その一方で、もっと上を向き、自分のいる環境を変えるというのは確かに難しい。
「自分のいる環境を変える」には、例えば自分が移動することで環境が変わる、自分の環境そのものを変える方法があるが、上の文では後者を説明している。
ただ、環境そのものを変えることは、自分を変えることにもなるかもしれないだろう。
むしろ、自分を変え、成長させることで、今までは未熟さゆえに見えなかったものが成長につれ見えるようになり、環境が変わったかのように感じることもあるだろう。

まとめると、高い環境に身を置き、簡単なことを確実にすべし、という2点に集約できる。
この2点を達成できれば、きっと大きく成長できるだろう。
高い環境に身を置くことはともかく、簡単なことを確実にすることは、日ごろの心がけ次第で出来るので、意識したい。

いいのか?サラリーマンプログラマで

・「渡された仕様書を実装するサラリーマンプログラマ」の悲哀
http://satoshi.blogs.com/life/2007/10/post-4.html

○記事本文中の気になる文章(原則原文ママ)
・本来のソフトウェア作りとは、絵を描いたり、音楽を作ったり、建物をデザインするのと同じ「創作活動」である。ドラッカーが警告(註: 知識労働者の生産性の向上がこれからの鍵であり、その答えは肉体労働者の生産性の向上とは大きく違う方法を採るべき、とコメントで補足されている)したとおり、そこに第二次産業におけるマスプロダクションの手法を取り込んで「ソフトウェア工場」を作ろうとすること事態に無理があるのだ。
・プログラマとして生きて行くつもりなら、「渡された仕様書を実装するだけのサラリーマンプログラマ」よりは遥か上を目指すべき。そうでないなら、他の仕事を探した方が良い。自分のキャリアパスを見つけ出す責任を持つのは、会社でも上司でもなく、自分自身なのだから。

1番目は、ソフトウェア全般の技術を極め、アーキテクト(architect: 建築家、創造者)の意味どおりソフトウェアを建築家のように創造する人間のことを「ITアーキテクト」と呼ぶことからも、ある程度私は納得出来た。
知識労働者の生産性の向上というのは、たとえば(プロジェクト)マネジメントなどがあるだろう。
ただ、マネジメントは目標達成の手段であり、顧客にとっての(あるいは研究・開発の)目的ではない、と私は考えている(マネジメント自体の研究であれば話は別)。

2番目の文に関しては、ある意味自分もサラリーマンプログラマなので、この現状をどうにかしなければならない、という危機感がある。
サラリーマンプログラマの殻を破れるかどうかは、自分次第。

○上記記事コメント中の気になる文章(原則原文ママ)
(あえて私の感想はつけません)
・知識労働者を肉体労働者のように扱っては生産性も上がらなければ国際競争力もつけることはできない
http://enterprise.watch.impress.co.jp/cda/topic/2007/10/01/11267.html
最新の調査では日本のIT産業の国際競争力は世界第2位だそうです。
仮に競争力が無いとしても、原因は「保護育成」ではなく、
http://d.hatena.ne.jp/kibashiri/20070323/1174629051
このエントリーで書かれているようなこと(註: 日本独自の商習慣(仕様))にあると私は思います。
・(前略)電電公社時代から(中略)始まって、最近の携帯電話機事業まで、日本では色々な「保護育成」をしてきています。ソフトウェアに関しても、(中略)資本主義とは思えないようなことがされて来たことは否定できないと思います。そういう制作は、短期的には効果的だったんですが、結果的にはメーカーから国際競争力を奪うことになってしまいました。
 特にソフトウェア産業に関して言えば、ここ20年ぐらいの間の米国でのプログラマの地位(中略)の向上は著しいものがあります。それに比べて日本でのプログラマの地位は低すぎます。私から見れば、それの根本的原因は日本独特のゼネコン型ソフトウェア開発で、それが(中略)劣悪な労働環境を作り出しています。
・言われたことを実装するだけの人でもメンテナンス性の良いコードを生産する人はいるし、フリーの人間や芸術家気取りの中でもスパゲッティ(註: スパゲッティのように複雑に絡み合うコード)を生産する人間はいる。言われたとおりにコーディングする職業を不当に貶めていないか。
・MicrosoftやGoogleでは(中略)、「設計する人が自らコードを書く」のが基本です。(中略)どんなに賢い人でも実際にコードに落とす段階にならないと見えないことがたくさんあり、そこで柔軟に設計変更ができない限りは良いものは作れません。
 ウォーターフォール型の開発の一番の欠点は、この「いざ実装してみないと見えてこない設計の問題点」が、妙な上下関係があるためにキチンとフィードバックされないこと。(中略)下請けとしては、「こうした方がコードがシンプルになり、工数がすくなくなる」とは口が裂けても言えない。逆に上流にいて実装にタッチしない人は、いかに自分の書いた仕様書がどうしようもないか、ということにいつまでたっても気がつかない。結果的に全体の効率が落ちて莫大な開発費がかかってしまいます。

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