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January 2008

ポリティカル・コレクトネスとニュートラルの違い

「Politically correct」(「ポリティカル・コレクトネス」)
http://dabadie.cocolog-nifty.com/blog/2008/01/politically_cor_2599.html

元サッカー日本代表監督のフィリップ・トルシエ氏の通訳を務めたことでも知られるフローレン・ダバディ氏のblog。
フランス人らしい視点からの意見が面白い(ところどころ日本語がおかしいのはご愛嬌)。
今回はパキスタンのブット元首相暗殺について。
NY Timesの記事の論調を引用し、「デモクラシーと人権のために戦って亡くなった偉大な女性政治家」と伝えるのは間違っているのでは、と指摘している。
タイトルの意味は「政治的正確さ」で、ここではその対象に対しどのように対処するのが「政治的に正しいか」という意味である。
その点から考えると、ブット氏の行動のすべてを諸手を挙げて歓迎できないのもまた確かだ。
パキスタンの人たちにとってはよい面もあったのだろうけど。
もっとも、ポリティカル・コレクトネスはニュートラル(中立)さとは別の概念なので、それは留意したい。
ニュートラルよりもポリティカル・コレクトネスの観点で民衆への政策を取った(表現はやや大げさ)表の顔と、悪人をのさばらせた裏の顔の明暗がはっきりしているということがなければ、ブット氏も違った評価を受けたのだろうけど。

会社ではなく個人のブランド力

個人のブランド力を磨くことの大切さ
http://satoshi.blogs.com/life/2008/01/post-12.html

ミュージシャンやスポーツ選手など、「才能」を売りにして、かつ「チーム」「バンド」を組むことがある人たちは、おそらく個人という名前のブランドの重要性をよくわかっているはずだ。
人気のバンドやチームを脱退・退団した途端、あるいは活動休止中にソロ活動をしても、誰からも見向きもされないなんて人は枚挙に暇がない。
チームやバンドであれば、強いブランドを持つ個人が集まっているからそのチームやバンドのブランドも強いのか、あるいは強いブランドの下にいるから個人のブランドも強くなる、のとでは意味がぜんぜん違う。
前者こそが個人の力を誇示していることであり、後者は「肩書きがなければただの人」状態である。
例えば、今日(30日)のボスニア・ヘルツェゴビナ戦にも出場した高原直泰ほどの実績があれば、「サッカー日本代表の高原」「浦和レッズの高原」と書かれても、個人がチームに埋もれないはずだ。
ただ、(これには個人差があるが)日本代表にはその肩書きがなければ「あんた誰」という選手もいるにはいる。
こういった選手は努力次第で大化けする可能性はあるが、それが現実だ。

blogに戻る。
中島氏は、「本来リスクが少ないはずの大企業に入ったはずなのに、逆に「その企業のブランド力に頼ってしまい、個人としてのブランド力を養う貴重な機会を失ってしまった」人たちがたくさんいる」と書く。
また、世の中には私から見て「企業のブランド力を自分自身のブランド力と錯覚している人」はたくさんいる。
こういう人間に限って、中身がない。
ルイ・ヴィトンなどの高級バッグを持っただけで人間の価値が上がると考えている女性と、精神的構造は同じだ。

自分もいずれは自分の名前で何かを売れるようにしなければいけないな、とは思う。
会社の看板に頼って仕事をしているうちは、「取替え可能な人間」でしかないのだから。

全体性と主体性~萎縮から伸長への扉

萎縮からの脱却
http://blogs.itmedia.co.jp/tkd/2008/01/post-e0b1.html?ref=rssall
より。

筆者は、「急成長の現場において、能力の高い人が環境に適応できずに、萎縮してしまうことは少なくありません」と書く。
そんな「萎縮」から「伸長」へ向かうには、2つの相乗的な力がいるという。
1. 全体性: 目標を把握するチカラ
2. 主体性: 意思決定をするチカラ
目標を立てるには、木を見て森を見ずではなく、全体を知ることが必要なのだろう。
また、周りに流されず決断することも大切だ。
上の2つの「チカラ」を手に入れるのは、簡単なようで難しい。

さらに、筆者は全体性を「知識」、主体性を「勇気」と要約した上で、こう書く。
「勇気を伴わない知識は飾りで、知識なき勇気は危険。勇気が知識を広げ、知識が勇気を後押しします」
知識ばかりで頭でっかちな人は、まさに「勇気を伴わない知識は飾りで、知識なき勇気は危険」のパターンなのかもしれない。

何かを始めるには、上記blogの最後の通り、「最初の一歩は、微かな知識と一握りの勇気で充分」だろう。
過去の自分を振り返っても、だいたい上に当てはまっていたので。

ICT業界の事実を直視し自ら動け

本当は楽しいIT業界――“重鎮”を超えて
http://www.atmarkit.co.jp/news/200712/26/it.html

IT業界に限らず、国際競争力がない、あるいは失いつつある分野が多くなってきた日本。
私も「参加者が明かすIPAフォーラムの裏話」(http://danpaleta.cocolog-nifty.com/blog/2007/11/ipa_1ce1.html)で取り上げた、
「IT業界不人気の理由は? 現役学生が語るそのネガティブイメージ」(http://www.atmarkit.co.jp/news/200710/31/ipa.html)の内容を踏まえつつ、3K(きつい、帰れない、給料安い)やデスマーチ(長時間労働など極端に仕事の負荷が高い状態、もしくはそのようなプロジェクトを指し、特にICT産業で起こる)がある事実から目を背けてIT業界の明るい面だけをアピールしても人を引き付けることはできない、と筆者は主張している。
現実を直視すればICT業界に希望は感じられないというのが、私の印象だ。
ただし、楽しいかどうかは気の持ちようもあるし、自分自身の行動でも変えられることを付け加えておく。

記事では、飯尾淳・吉岡弘隆両氏へのインタビューも交えている。
飯尾氏は、SIer(システムインテグレータ)が建築土木業界をお手本にするのは「無理がある」と主張する。また、「競争相手がワールドワイドになっている。IT業界は建築土木業界よりも競争条件が過酷。その中で誰でもできる作業を日本人技術者が行う必要がない」とも述べている。
さらに、「日本語で情報処理が当たり前になってしまって、そこに縛られてしまった」とも主張する。
日本のソフトウェア業界の国際競争力のなさは日本語(という言葉の壁)にあることをほのめかしているようだ。

一方、吉岡氏の主張はこうだ。
以下、引用。
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実際に業界内で働いているIT技術者は私以上に閉塞感を感じているだろう。(中略)この記事の執筆に当たって飯尾氏を含めて何人かの人物に話を聞いた。彼らが共通して訴えたのは「外へ出ろ」ということだった。つまり、オールドスタイルの経営に執心する企業は見限ってしまえということだ。(中略)
IT業界の3K問題についての私の質問に対して「周りが悪い、世間が悪いといっても意味がない。自分がどうサバイブするしかない。エンジニアはもっとしたたかになれよといいたい」と畳み掛けた。オールドスタイルな経営を続けるIT企業には「就職しなければいい。若い人は。それだけの話」
--------
私も、今の状況にとてつもなく大きな閉塞感を感じている。
しかし、何度も書いたように、自分で動かなくては何も変わらない。
本文の言葉を借りれば、「他力本願では自分を変えられない」。

話は変わり、「オールドスタイルな経営を続けるIT企業」かどうかは、入ってみないとわからないこともあるので、判断が難しい。
入ってもすぐにやめるなどすればいいのかもしれないが。
もっとも、石の上にも3年という言葉もあるので、さっさとやめることが本当によいかどうかは状況によりけりだろうけど。

飯尾氏が記事の後半で述べた言葉で、記事を結ぶ。
「まずは自分が取り替え可能な人間かどうかを考えるのが非常に重要。取り替え可能なうちは幸せになれない。取り替え不可能な人間になってほしい」

言葉が出ない悲劇

殺害乳児の母親自殺か=歩道橋から飛び降り-大阪

 23日午前3時半ごろ、大阪市東成区東中本の路上で女性が倒れていると通報があった。女性は大阪府守口市の自宅で殺害された生後18日の山中禮弥ちゃんの母山中いづみさん(22)で、搬送先の病院で死亡が確認された。山中さんは近くの歩道橋から飛び降りた後、通行中の車にひき逃げされた可能性が高く、大阪府警は自殺を図ったとみて詳しい状況を調べている。

2008年1月23日(水)12:46 時事通信

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自宅を強盗され、そのときに生まれてきたばかりの赤ちゃんともども粘着テープで口をふさがれ、赤ちゃんは死亡。
強盗と殺害を目の前で見せられた母親の気持ちは、計り知れないほどつらいだろう。
「赤ちゃんのもとへ行きたい」と漏らすこともあったらしいことからも、それが伝わってくる。
最終的に、母親は歩道橋から飛び降りるという選択をしてしまう。

こんな状況でもっとつらいのは、赤ちゃんの父親だ。
立て続けに起こった、生まれたばかりの子供と愛する女性の死。
この2つの現実を受け止めなければいけないのだから。

強盗から始まった悲劇に、言葉が出ない。

応病与薬は難しい

情報システムの柔軟性実現は“応病与薬”のアプローチで
http://www.mizuho-ir.co.jp/column/sys080122.html

ここで紹介しているのは、オブジェクト指向やSaaSなど、あくまでも「手段」。
私も日記で繰り返し書いているが、手段と目的を履き違えてはいけない。
しかし、目的を達成するためには、適切な手段を学び、選ばなくてはいけない。
そのことこそが、上記記事で筆者がわざわざタイトルに書いた「応病投薬」である。
こうやって書くだけなら簡単だが、実行に移すのは難しい。

もっとも上の文章では、SaaSなどの技術(手段)の解説が中心になっていること、
> 一方、SOAやオブジェクト指向では、情報システムの構築や機能追加に伴い、一般的には利用者数に関わらず初期費用が発生してしまう。
のように、落ち着いて行間を読めば「??」と感じる箇所はある。
それでも、何かしらの参考になるかも。

ポリヴァレントな人材を育てる方法

“ポリバレント”なシステム・エンジニアが育っていますか
http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/OPINION/20080116/291142/

記事では、NTTデータでは各工程の実務経験を一通り積ませる、実務とマッピングした研修メニュー、などの例を取り上げている。
記事で書かれているような教育方法がベストかどうかは、なんともいえない。
また、「ポリヴァレント」をバカの一つ憶えのように繰り返しているだけで、無意味で理念なき教育をしているのであれば、下手をすると何も残らないであろう。
だが、少なくとも自社のSEを少しでも「ポリヴァレント」に近づけようとしている努力だけはうかがえる。
個人的には、OJTと研修のバランスを取る、研修には十分な時間をかけ(時には1ヶ月以上の長期研修も行うなど)、かつ内容を充実させるという、人材育成の王道をきちんと進むことが、「ポリヴァレント」の育成に限らず、社員の教育で重要だとは思う。

ただ、SEという狭い枠の中で「ポリヴァレント」であるよりも、いずれはSE以外の職業という広い世界における「ポリヴァレント」でなければ、少なくともICT業界では生き残れないだろう。
もっと書けば、ICT業界という枠に囚われてもいけないのだろうが。
そのことを痛感している。

Dream Theater武道館ライヴレポート

1月15日に行われた、Dream Theaterの武道館ライブに初参戦。
バンドにとって、武道館でのライヴはこれが2回目。
最初に行われた2004年のライヴの模様はDVD化されており、コンサートへ行けなかった私も見た。
映像と音を見聞きした限り、ヴォーカルのジェイムズ・ラブリエの声の調子があまりよくないな、という印象だったが、今回は果たして?

会場に入る。
私は2階席。
さすがにチケットは完売しなかったらしく、当日券も売られていたほどだ。
そのせいか、2階の東西ブロックの席は前方のほうにしか人がいなかった。
音楽が音楽だけに男性客が多そうだと私は思ったが、予想よりも女性客多し(カップルで来ていたのも含め)。
Dream Theaterの音楽が幅広く受け入れられているのかな?

今回は2部構成。
雑誌のインタビューでバンド(立ち読みだったので答えたのが誰か忘れた)が「2部構成にする」と答えていた通り。
ステージには、Systematic Chaosの限定版ジャケットにある信号機がぶら下がっていた。

(ライヴの模様)

最新作・Systematic Chaos収録のConstant motionで幕を開ける。
オープニングらしい選曲だ。
その後もステージの大型スクリーンの映像を交えつつ、ライヴが進行していく。
ラブリエの声は全体的によく出ており、武道館ライヴのDVDと比べ、その差は明らか。
ジョン・ペトルーシのギターは冴え、マイク・ポートノイのドラムの音はずしりと響き渡る。
キーボードのジョーダン・ルーデスは、時折ワイヤレスのショルダー・キーボードを持ってステージの前に立ち、演奏を盛り上げる。
ベースのジョン・マイアングは縁の下の力持ちに徹するも、存在感は相変わらず。
このように、メンバー全員確かなテクニックを惜しげもなく披露。
途中、ステージの大型スクリーンで、バンドのメンバーが登場するアニメが写っていたが(The dark eternal nightの時?)、少しだけ映像と音楽がシンクロしていたのはよかった。

15分の休憩を挟み、第2部へ。
ポートノイがニューヨーク・ニックスのユニフォームに着替えていた。
ポートノイのユニフォームにあった背番号は11で、現在はジャメール・クロフォードが使用している。

再開後初めて演奏されたIn the presense of enemyは、Systematic Chaosでは2曲に分けられていたけど、ライヴでは続けて演奏。
ちなみに、2曲のCDで表示される演奏時間を単純に足すと、約25分。
結構な長さだが、ライヴではその時間の長さを感じさせない。
この曲の前半はキーボードとギターが高速フレーズをユニゾンするが、ライヴで見るとやっぱりすごい。
ルーデスとペトルーシのテクニックに圧倒される。

アンコールのメドレーのTrial of tearsのBメロで``On the streets of New York city''というフレーズがあるが、そこでNew YorkをTokyoと言い換えていたのがほほえましい。
観客も大喜び(笑)
また、メドレーの曲がいずれもアルバムの最後の曲だということに気付き、In the name of Godを演奏したあたりで「最後はOctavariumで締めるかな」と思っていたら、そのとおりになった。
それにしても、Octavariumはエンディングにふさわしい。
Octavariumは個人的に好きな曲の1つなので、メドレーとはいえ演奏してくれたことはうれしかった。

(全体を通して)

少なくともアリーナ席の観客の多くは立っているように見えたが、2階席は意外と座っている人が多かった(1階席はよくわからず)。
私はずっと立ちっぱなしだったけど。
もっとも、座ってじっくり聴くのもありで、ライヴの楽しみ方は人それぞれ。

また、ラブリエは体調が悪かったとの情報もあるようだが、それでも十分満足できた。
仮に体調が悪かったとしても、あれだけ声が出せればすごい。
他のメンバーはといえば、ルーデスがForsakenのイントロをミスする、ポートノイがIn the presense of enemyの演奏でテンポがずれるミスをなどがあったらしく(他の方のblogの記事を読んで知りました。私は気付きませんでした)、演奏の正確さという面では問題があったのかもしれない。

マイアングのベースがやや聴き取りづらい(1曲目終了後バンドのローディに何か訴えていたという情報もあり)、時々音が割れて聴こえる、といったことはあったものの、全体の音のバランスはまずまず。
武道館は文字通り武道のための館で、コンサート会場としては作られていない(音響バランスなど)。
また、バンド側も前回の武道館公演でノウハウが蓄積されているのかも。

最新作・Systematic Chaosからの曲は、基本的にアルバムどおりのアレンジで演奏。
一方、過去の曲はアレンジを加えて演奏することも。
ただ、Take the timeなど一部の曲は、ジョーダン・ルーデスがオリジナルのキーボードフレーズとは違う演奏をしていたこともあり、なるべく原曲どおり演奏して欲しかった、との声も。
アレンジが素晴らしければこういった批判も少ないのだろうけど。
このように、ライヴで原曲が再現されるのを聴きたい、という意見もあるし、曲によっては私もそう感じることもある。
個人的には、ライヴでは原曲どおりのアレンジだけでなく、独自のアレンジを加えてもよいのではと思う。
アルバム収録どおりのアレンジばかりで演奏するのはつまらなく、それなら普通にアルバムを聴いたほうがいいのでは、と感じるからだ。
もっとも、最後にどう演奏するかを決めるのはバンドなので、それを楽しめばいいし、逆にどう演奏してくれるかという期待を持ちながらライヴを待つのも醍醐味だろう。

巷の意見では「重い曲ばかりだ」「長い曲ばかりだ」「あの曲やれ」「この曲やってほしい」「ソウル公演と同じセットリストでひねりがない」などいろいろあるようだ。
私も選曲には不満がないと書けば、嘘になる。
しかし、観客の好みは十人十色だし、Dream Theaterに限らずどのグループでも全観客を満足させるセットリストでライヴをすることなど不可能に近い。
おまけに、誰か一人のためにライヴをしているわけでもないのだ。
だから、コンサートのたびとはいえ、バンド側も選曲はきっと大変だっただろう。
それゆえ、バンドは少しでも観客を満足させようということで、妥協の産物としてアンコールをメドレーにしたのだと捉えたい。
個人的には、アルバムの最後の曲ばかりというメドレーは面白いと思った。

(セットリスト)

第1部
Constant motion
Never enough
Surrounded
The dark eternal night
Lines in the sand
Forsaken
The ministry of lost souls

休憩 (Intermission)

第2部
In the presense of enemy (Pt 1&2)
Home
Misunderstood
Take the time

アンコール
メドレー (Shmedley wilcox)
Leaning to live
Finally free
Trial of tears (I. its raining)
In the name of God
Octavarium (V. Razor's edge)

なお、このセットリストは今年1月のソウル公演のものと同一とのこと。

理数系の学力低下と「教育の沙汰も金次第」

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日本「お家芸」理数系で順位転落、OECD学力調査で判明
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20071204-00000012-yom-soci

経済協力開発機構(OECD)は4日、加盟国を中心とする57の国・地域の15歳男女計約40万人を対象にした2006年国際学習到達度調査(略称PISA)の結果を世界同時発表した。

 3回目の今回、日本は、すでに2位から6位に転落したことが明らかになっている「科学的応用力」に加え、「数学的応用力」が6位から10位へ、「読解力」も14位から15位へと全分野で順位を下げた。今回の対象は、詰め込み教育からの脱却を狙った「ゆとり教育」で育った世代で、日本が最も得意としてきた理数系で世界のトップレベルから転落したことは、今年度末に改定予定の次期学習指導要領に影響を与えそうだ。
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学力低下を何でもかんでも「ゆとり教育」のせいにする風潮が、最近は強いようだ。
「ゆとり教育」の狙いの1つは応用力の強化だったはずだが、それが成果として現れていないことは、ある程度認める必要がある。
ただ、従来の詰め込み教育の弊害を少しでも減らそうという努力はしていたのだ。
あと、勉強時間を増やせばいい、という論調もある。
確かに、数十年前と比較し、学習時間は減っているようだ。
しかし、学習時間を増やしたからといって学力が向上するなら、何の苦労もない。
単に時間を増やすだけでなく、学習の質の向上も必要だ。

「科学技術社会を支える人財の育成に対する懸念」(http://www.mri.co.jp/COLUMN/ASPECT/NOGUCHI/20071227NK.html)では、PISAの結果について、『日本(註: 理数系分野での日本の順位)に関して、「順位が落ちたといっても、イギリス、ドイツといったヨーロッパの先進国よりは上なので心配は要らない」という声も聞こえてくるが、やはり知恵で生きていかなくてはならない日本としては、このままずるずるとその地位を後退させることは、避けなくてはならない』とある。
日本から理数系分野を含む「知恵」が失われたら、どうなるのか。
私は、何も残らず、世界で生き残れないと考える。
それゆえ、早急に手を打たなくてはいけないだろう。

加えて、短期利益志向があると上記コラムで指摘がある。
コラムの文章を引用する。
『岩本准教授の言によると、小学生は、まだ科学的な事柄に対して興味を示すが、中学・高校の受験勉強の間で急速に興味を失っていくという。また、日本はあふれんばかりの科学技術製品やシステムに囲まれており、科学技術が環境化している。そのため、かえって科学技術に興味がわきにくいということもあるかもしれない。しかし、若者の行動パターンが、受験競争と相俟って、「短期的な利益や必要性が見出せないものには手を出さない」とか、「分かりにくい分野に対しては、努力してまで理解しようとしない」ということが起きているとすれば、これは大きな問題である。とはいえ、思い返せば、受験に必要でない科目の時間を大きく減少させたのは、ほかならぬ学校自身であった。
こういった短期利益志向は、科学技術に対する興味を失わせる。これでは、科学技術創造立国を支える人財が育つわけが無いのである。
この短期利益志向の風潮は、科学技術社会を支える人財を育てないだけではなく、日本人としての辛抱強さとか大らかさという基本的性格も変えてしまう怖れがある』

世の中、なにもかもすぐに結果が出ることばかりではない。
まいた種が芽を出し、成長するまでに時間がかかることはよくある。
結局は長期的な視野に立って教育を考えることが、科学技術のみならず様々な分野での学力を向上させることにつながるだろう。

上記と関連して、理系離れが深刻とのことだ。
これを食い止めるため、中学生や高校生らの理系への関心を高めようという試みもある。
例えば、女子高生に理系のよさを伝えようという試みなどだ。
(女子)高生ではすでに遅いという意見もあり、確かに理系の啓蒙活動は中学生以下のほうが効果的かなとは思うが、高校生の時点であっても何もしないよりはましだろう。
上はあくまでも例であって、こういった試みは高校生に限らず中学生以下でも実施されているようだ。
それがまだ成果を挙げているかどうかはなんともいえないが、こういう地道な活動も理系離れを食い止めるためには必要だ。

一方で、「学力格差と子供の貧困」(http://www.mizuho-ir.co.jp/column/shakai071211.html)によれば、順位の低下はわずかな点差によるもので、問題視するほどのものではないという意見もある。
上記コラムでは、『注視すべきは、「読解力」において習熟度が著しく低い生徒の割合が、2003年に急増したまま推移している点』や、学力低下とこどもの貧困の関係について書かれている点が興味深い。

これと同時並行で、文系的能力も今まで以上に向上させることができれば、問題はないだろう。
例えば、語学力の向上だ。
そのことを感じさせる記事をたまたま見つけたので、紹介する。

1月6日付毎日新聞朝刊の「発言席」(毎日jpには該当記事見当たらず)に、矢田部厚彦・元駐仏大使の「外交官の互角力向上を急げ」が掲載されていた。
その中で、「言語系統の孤立した日本語を母国語とするハンディキャップは歴然である」と前置きし、世界各国には様々な言語に堪能な外交官はざらにいることを挙げている。
また、外交力向上への対策をしても果実が得られるのは20年後、外交の世界では外国からトレードは出来ない、精鋭主義によって戦力強化を図る以外にない、なども書いている。
肝心の語学力向上だが、奨学金をコンクールで選抜した中・高生に支給し、英才教育を施すことを主張している。
具体的な教育内容は、英語国の高校に1年留学、大学在学中に海外協力隊員を体験する、日本の大学院修士修了後は著名外国大学の学位取得の義務付け、などだという。
外国に行くばかりで外国で何を学ぶかというビジョンが抜けているのが気になるが(外国へ行くことは手段であって目的ではないのでは)、徹底的な外国語漬けの生活というのは語学力向上のヒントになるかもしれない。
上の内容は徹底的なエリート教育であり、一般の人たちが全員できるわけではない。
ただ、日本語をきちんと勉強するという前提の下、英語を母国語レベルまで使いこなせるようにすることは、学力向上には有効だろう。

「学力格差と子供の貧困」にあるように、親の収入格差がこどもの学力の差、ひいては階層の固定化(医者などはすでにその傾向があるかもしれない?)につながることは、避けたいものだ。
英国では、すでに手が打たれているとのこと。
とにかく、金で頭のよさを買えるような教育制度や社会になるのは勘弁だ。

そんな中、私立のハーバード大学のように学費を実質値下げした例もある。

Harvardの戦略的学費値下げ:年収2000万円までのミドルクラス対象
http://www.chikawatanabe.com/blog/2007/12/harvard.html

ハーバード大の学費は$30000強/年だが、全米の相場はこんなものらしい。
それが奨学金の適用を拡大することで、世帯収入が$60000/年では無料(以前は$40000/年)、$180000/年までは年収の10%以下になるとのこと。
この部分だけ読めば「庶民にも優しいな」と思うかもしれないが、実際は優秀な学生を集め、卒業後高収入の仕事についてもらい、あとは寄付金をたんまりもらうという、大学の考えがあるようだ。
なお、アメリカでも大学の格差は広がる一方とのこと。

日本でも、例えば東大は低所得者の授業料を減免し、博士課程の学生も減免措置をするとのこと。
http://sankei.jp.msn.com/life/education/071110/edc0711102006007-n1.htm
http://www.nikkei.co.jp/news/main/20070929AT1G2805M29092007.html
ハーバード大などと同様、寄付金に支えられている大学だからこそ出来るようだ。
また、東工大も博士課程の学生の授業料を実質無料に。
http://www.asahi.com/life/update/1222/TKY200712210405.html
もっとも、博士課程の場合、上記記事にもあるとおりいわゆる「学振研究員」は対象外だが、「学振研究員」を取れる人は本当に優秀(門は狭い)なので、授業料うんぬんは関係ないだろうけど。

最後に、学力の向上はもちろん、こどもに未来ある教育制度を作り上げる必要がある。
学力低下の遠因とされる収入格差の固定化、理系離れを食い止める、はては学級崩壊など学力にまつわる様々な問題が山積しているが、1つ1つ地道に解決していくしかないだろう。

ポジティブ・シンカーの10の資質

昨年末にたまたま読んだblogの記事より。
参考: 2008年もポジティブで行こう:ポジティブ・シンカーの10の資質
http://blogs.itmedia.co.jp/koji/2007/12/200810-37c2.html?ref=rssall
いいなと思ったのでここで紹介。
上のblogの記事の元ネタはこちら。
参考: ポジティブ・シンカーの10の資質
http://listfreak.com/list/873

  • 楽観: 困難や難題や危機に直面しようとも、ポジティブな結果を信じ期待する。
  • 熱意: 興味や積極的なエネルギー、情熱や個人的な動機づけを高いレベルで持ち続ける。
  • 信念: 必要なときに支援し指導できるように、自分自身と他人を信頼し、また、より高次の精神力を信じる。
  • 廉直: 正直さ、開放性、公平性を、個人の責任と決意に基づいて実践する。自分の規範に拠って生きる。
  • 勇気: 結果が不確実なときでもリスクをとり、恐怖を克服する自発的な意志。
  • 自信: 自分の能力、才能、可能性に自信を持つ。
  • 決断: ゴール、目的、大義の飽くなき追求。
  • 忍耐: 機会に備え、準備を怠らず、自分自身や他人の結果を待つ意志。
  • 冷静: 困難、難題、危機に対応しつつも平静を保ち、バランスをとるように努める。そして反省と思考の時間をつくる。
・焦点: ゴールと優先順位の設定により、心が正しい方向に向けられていること。

世界を目指せない日本のIT産業

1月5日、日経に「IT産業は世界を目指せ」というタイトルの社説が載っていた。
http://www.nikkei.co.jp/news/shasetsu/20080105AS1K0500105012008.html
※1月23日の時点では日経のサイトには掲載されていない。
代わりに、無断で全文を引用、じゃなくて参考になりそうなblogの記事を見つけたので紹介。
参考: NGN(次世代ネットワーク)におけるITガラパゴス日本の苦悩
http://d.hatena.ne.jp/kibashiri/20080108/1199779738

DVDの規格そのものも含め、DVDプレーヤ・レコーダなど、あるいは自動車では日本が世界を先導していることもある。
ただ、現状ではIT全般では「内向き」という言葉が出てきても仕方ないだろう。
それには、他の方の言葉を引用すれば、日本の商習慣、人材育成にお金をかけていない、などいろいろある。
日本国内の会社としても、国内への対応をするのが精一杯なのかもしれないし、世界に目を向ける余裕もないのかもしれない。
加えて、世界のよい点は真似して自分のものにするべきだが、欧米を追い越そうと必死だった高度成長期をとっくに過ぎた今、いまだにまねばかりではオリジナリティがなくなるのもまた確か。

とはいえ、「NGNにおける~」で触れていたように、日本(のIT産業)がガラパゴス諸島というのは大げさなたとえだろう。

I(C)T産業に限らず、様々な分野で日本が世界を引っ張れれば、日本人としてはうれしい。
上で書いたように、自動車などものづくりでは世界を先導している場面もある。
しかし、日本(人)にとってよいものが他の国の人たちによいとは必ずしも限らない。
時には国益が対立することもある。
ただ、日本の意見を通すべきところと海外の意見を受け入れるところで、うまくバランスが取ることは必要かも(結局ありきたりの結論だが)。
個人的には、I(C)T産業はもちろん、環境問題(CO2排出削減技術、削減スキーム、国民の環境問題への意識と取り組み、などなど)、再生医療(iPS細胞の実用化など)でも日本が世界をリードして欲しいと思うのだけれども。

PS
上の「NGN(次世代ネットワーク)におけるITガラパゴス日本の苦悩」では、「日本のソフトウエア生産性と品質は世界最高水準~なぜ日本のソフトは国際競争力がないのか。」の箇所で、日本のソフトウェアの国際競争力についても触れられている。
上記記事では、「日本独自の商習慣」が原因では、とまとめている。
これに関しては、以下の私の日記の後半も参照。
いいのか?サラリーマンプログラマで (http://danpaleta.cocolog-nifty.com/blog/2007/10/post_9791.html)
なお、
ICT産業が嫌いな理由 (http://danpaleta.cocolog-nifty.com/blog/2007/12/ict_131c.html)
で引用した記事によれば、日本のソフトウェアの国際競争力が低いのは「日本語という言葉の壁」、人材育成に費用を惜しむ業界構造が原因だとしている。
この内容と「日本のソフトウエア生産性~」の内容は、重なる点もあれば、異なる点もある。

総括・2007年のIT業界

2007年のIT業界を振り返る
http://blogs.itmedia.co.jp/ikizama/2007/12/2007it-0815.html?ref=rssall

こっちは国内中心。
とはいえ、企業合併などでもこれだけあったとは。

「ITアーキテクト」の市民権獲得やコンサルティングファームと大手システムインテグレータ(SIer)の業務領域がさらに近くなったことも挙げているけど、個人的にはこれらは2006年の時点ですでに始まっていたことだという印象。

2007年は「再編の年」――IT業界の1年を振り返る
http://www.computerworld.jp/news/trd/92609.html

こちらはもう少しグローバルに。
金額だけで見れば、大きな買収はいくつかあったようだ。

上の記事でも取り上げられていたiPhoneは、携帯電話のあり方を変えたようだ。
携帯電話といえば、Androidの登場も個人的には印象に残っている。
これは今後どうなるかなんともいえないけれど。
参考: Androidが登場する衝撃
http://danpaleta.cocolog-nifty.com/blog/2007/11/android_638f.html

OLPCはまだ道半ばといったところか。
Wikipediaによれば「開発途上国の子供たちに革新的な教育理論に基づく学習の手段を提供」するのが目的らしい。
要は「教育の機会均等」ということだ。
個人的には、いわゆる「ディジタルディヴァイド」の解消にも役立つと思うけど、それは本来の目的とは異なるとのこと。
ただ、OLPCの本来の目的よりも値段を安くすることばかり目がいってしまうのは私だけか?
もっとも、OLPCでは「安価なラップトップの開発は目的ではない」としているらしいので、個人的には一安心(安価なラップトップの実現はあくまでも手段なので)。

もっとも、ディジタルディヴァイドの解消が目的なら、「古いPCを途上国へ送り、ただで配れば」という意見も出てきそうだが、送料がバカにならない、電源の規格が様々ある(モバイルPC用のACアダプタなら世界各国の電源電圧に対応していることが多いが)など、問題がいろいろありそう。

最後に、企業がWindows Vistaへ移行するのはまだ先になりそう、とも。
Vistaは使っていくうちに使いやすさを感じるけど、ね……

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