バイオ/メディカル

あってはならない受精卵取り違え

・受精卵取り違え―命を扱う緊張感忘れずに(朝日)
http://www.asahi.com/paper/editorial20090221.html
・不妊治療ミス 「命」の管理がずさん過ぎる(読売)
http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20090220-OYT1T01116.htm
・受精卵取り違え 生殖医療の監視体制が必要だ(毎日)
http://mainichi.jp/select/opinion/editorial/news/20090221ddm005070080000c.html
・受精卵取り違え 安全対策の徹底を求める(産経)
http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/090221/crm0902210402002-n1.htm

「知らぬ間に受精卵をほかの人に移植され、中絶されたカップルにとっても、あまりにむごい話だ」(朝日)、「生命の誕生を促す医療行為が、あまりにも軽く行われているのではないか」(読売)、「不妊治療を受けている人たちの「悪夢」と言ってもいいだろう」(毎日)、「ショッキングな医療事故」(産経)など、各紙とも厳しい論調で書いているのがおわかりいただけるだろうか。

人工授精は、字の如く人の手を介して受精させる治療で、これまで不妊に悩む多くの夫婦に光を与えてきた。
そのような性格がある人工授精において、受精卵を取り違えるというミスは、夫婦、特に女性に肉体的にも精神的にも大きな負担をかけてしまう。
取り違えられた夫婦にも。
それだけに、このようなミスはあってはならない。
だが、医療現場の人たちは注意して欲しい、だけでは何も解決しないだろう。
人間誰しもミスは起こす。
だからこそ、細心の注意が必要である。
今回の事件を起こした医師は経験豊富だったとのことだが、それでもこのようなことが起きてしまう。
ただ、調べでは病院の管理がずさんであったという報道もある。
それが事実であれば問題である。
いずれにせよ、ミスが起きた根本的な原因を突き止め、同じような悲劇を二度と繰り返さないようにしなくてはならない。
それこそが、人工授精の安全性を高めることにもつながるのだ。
体制が不備なことはおろか、ミスの原因さえも突き止められないずさんな医療体制では、不妊に悩む夫婦が安心して不妊治療を受けられない。

臨床研修見直しを考える

・医師研修見直し―良医を増やすためにこそ(朝日)
http://www.asahi.com/paper/editorial20090220.html
・臨床研修見直し 医師不足の主因を見誤るな (読売)
http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20090219-OYT1T01129.htm
・臨床研修見直し 幅広く声を聞き拙速は避けよ(毎日)
http://mainichi.jp/select/opinion/editorial/news/20090220ddm005070062000c.html
・臨床研修見直し 医師不足の解決になるか(産経)
http://sankei.jp.msn.com/life/lifestyle/090220/sty0902200229000-n1.htm

2004年に研修医が自由に研修先を選べるように制度を改正してから、5年が経とうとしている。
「多くの診療科をローテートすることで、研修医の基本的な診療能力に一定の向上が見られるなど、全体として制度の基本理念が実現されつつある」(http://www.mhlw.go.jp/shingi/2009/02/dl/s0218-6a.pdf)など、よい面も出ているようだ。
一方、制度改正以降、都市部にあり、高いレベルの研修が期待できる病院への研修希望が殺到した。
その結果、出身大学の病院に残る研修医が減り、それが医師不足の原因を招いたといわれている。
今回の臨床研修見直し案では、そういった状況を変えるべく、必須の受講分野の見直し、大学病院への研修医派遣を優先させる、などがうたわれている。

臨床研修見直し案は本来、医師の教育の質を高めるために行うものだ、という指摘はもっともだ。
だが、上の案では医師不足解消のために見直すという魂胆が透けて見える。
現行の研修制度は「大学の医局を中心とした臨床研修が専門分野に偏りがちだったという反省から、幅広い診療能力をもつ医師を育てようと始まったもの」(朝日)なので、その理念を曲げることはしてはならない。
もちろん、医師不足の解消はすぐに取り組まなくてはいけないし、都市部への研修医集中も問題である。
そして、「現行制度は、結果的に、医師不足現象に拍車をかけてもいる」(読売)という指摘もあるのが現実だ。
「研修のあり方を見直せば、直ちに医師不足が解消できるというほど単純な問題ではない」(毎日)だけに、「若手医師の教育という目的とどう調和させるか」(産経)が重要だろう。

いずれにしても、臨床研修の見直しは医師の教育という観点で行うべきことであるが、一方で医師不足といった、臨床研修に絡むほかの問題もある。
それぞれを単独で議論して何とかなる問題ではなく、広い視野で物事を考えなくてはいけないのが現実だが、物事の本質を見失ってはいけない。
医師不足といっても、小児科医や産婦人科医など特定分野の医師が不足している問題もあれば、過疎地における医師不足という問題もある。
さまざまな問題に共通している本質は何か、またそれぞれの問題固有の本質があるのかなど、深く掘り下げて考えなくてはいけない。
何よりも時間は有限であり、だらだらと問題に取り組んではならない。
難しい問題だけに、英知を結集する必要がある。

医薬品のネット販売に潜む問題

薬事法の改正について、厚生労働省の方針で決まったようだ。
・“予定通り”に決着した医薬品ネット販売
http://www.cabrain.net/news/article/newsId/19876.html
・厚労省、医薬品のネット販売規制へ 既定路線撤回せず
http://www.nikkei.co.jp/news/keizai/20081224AT3S2300O23122008.html
参考(2008年2月時点での議論): http://www.mhlw.go.jp/shingi/2008/02/s0208-14i.html

これには賛否両論があり、ネット販売側、利用者側などさまざまな意見がある。

・困ります、私たち。~ネットで薬が買えないなんて~
https://common2.rakuten.co.jp/form/medicine/net_signature/
・大衆薬のネット通販禁止を―薬害被害者団体など
http://www.excite.co.jp/News/society/20081119/Cabrain_19235.html
・医薬品のインターネット販売に関する日本薬剤師会の見解
http://www.nichiyaku.or.jp/contents/kiseikanwa/pdf/net_kenkai.pdf
・一般用医薬品のインターネット販売の規制を求める要望書
http://homepage1.nifty.com/hkr/yakugai/iyakuhin-hanbai/naikakufu-youbou081117.pdf

これらについては、以下の記事が詳しい。
・医薬品のネット販売規制、賛否両論より大切なもの
http://www.nikkeibp.co.jp/article/column/20081209/118446/

どの意見にも、耳を傾けるべき点はある。
ネット販売側が「買えなくなる」と例に取り上げている薬には、置き薬にあるような薬がいろいろとあり、確かに不便になる。
また、薬剤師側は「一般用医薬品の販売は対面販売が原則であり、インターネット販売については禁止、少なくとも第三類医薬品に限定すべきである」と主張している。
「医薬品には必ずリスクである副作用の発生が伴っている」「医薬品の販売は、利便性よりも安全性がより確保できる制度のもとで行われることが重要である」はもっともであり、私も賛成である。
「一般用医薬品のインターネット販売の規制を求める要望書」にある「消費者の求める『利便性』は、あくまで『安全性』を前提にしたものです」も、私はうなずける。
加えて、「一般用医薬品のインターネット販売の規制を求める要望書」には十数の薬害被害者団体が賛同している点は、無視してはいけない。

私が書こうとしていることは、実はだいたい上の「医薬品のネット販売規制、賛否両論より大切なもの」の記事で書かれている。
(良くも悪くも上の記事の受け売り状態かもしれないけれど)
それは、ネット販売側と薬剤師側の意見の一部は、暗に自分たちの商売チャンスや利権を守りたい、と主張したいだけでは、ということだ。
特にネット販売側にいたっては、こじつけに近い主張すら見受けられる(特に「困ります、私たち。~ネットで薬が買えないなんて~」の真ん中あたり)のは私だけだろうか。
ビジネスチャンスを奪われたくがないために意見を出すのは、愚かでしかない。

「医薬品のネット販売規制、賛否両論より大切なもの」では、今すぐに薬が必要な状況で「ネットで医薬品を買う確率は、限りなくゼロに近い。理由は明快──待てないからだ」と書かれている。
「一般用医薬品のインターネット販売の規制を求める要望書」で書かれている、「一般用医薬品の安全性確保は大きく後退し、将来に大きな禍根を残す」が極端だという意見ともども、ある程度納得できる。

処方箋の必要な薬と比べ、副作用などの問題が少なく、比較的安全性が高い医薬品であっても、リスクの大小は千差万別であり、だからこそ厚生労働省は3段階の分類をしようとしているのだろう。
そういう背景を無視して、ネット側の主張である、医薬品はすべてネットで販売できるようにしよう、では乱暴である。
医薬品を購入するに当たり、時には薬剤師のアドバイスが必要な場面もあるからだ。
そのための薬剤師ではないのか。
また、「“予定通り”に決着した医薬品ネット販売」では、「極論すれば、ネットで購入した催眠剤で自殺者が出たことが問題ならば、それは科学的根拠の有無を問わず、厚労省の責任だろう」と書かれてある。
国民を守るべき厚労省としては、医薬品をすべてネットで販売可能とするのは甘すぎるとの批判のそしりを免れないし、かといって厳しすぎても国民の利益は奪われるだろう。

安全性の確保(薬剤師という専門家の存在も含めて)と消費者の利益を天秤にかければ、現時点では第三類医薬品、せいぜい第ニ類医薬品に限定して販売するのが妥当というのが私の考えである。
その後、徐々に対象を広げていくのがよいのではないか。
規制緩和の流れとはやや逆行するかもしれないが、安全性には代えられないだろう。

薬剤師については、「医薬品のネット販売規制、 賛否両論より大切なもの」のコメントに「薬科大学の教育システムは薬剤師を養成するためにあるのではなく、薬科大学教員にメシを食わせるためにあります。医薬品の具体的な知識なんて教えられる教員はいないし、その気もない。(中略)医薬品に関しては素人同然の人間が『薬剤師』という名札をつけて売り場にいるだけというのが現実です。つまり、薬剤師に売らせたって、安全の確保なんかできないんですよ」とある。
こういう状況が正しいのなら、「医薬品のインターネット販売に関する日本薬剤師会の見解」が薬剤師の利権を守るために出したものだといううがった見方をされても、仕方ないだろう。

「医薬品のネット販売規制、賛否両論より大切なもの」の著者は、「厚労省にふりまわされ、オンライン販売側と日本薬剤師会、日本薬剤師会薬害オンブズパースン、全国薬害被害者団体連絡協議会が、『消費者の重大な権利が侵害』『将来に大きな禍根を残す』といいあうだけでは、不幸になるのは消費者なのだ。相互に現実は現実と認め、『利便性』と『安全性』を両立させるために協力することが第一歩である」と結んでいる。
この意見も踏まえつつ、安全性の確保と消費者の利益(利便性)を天秤にかけ、バランスの取れたネット販売制度が生まれることを私は望む。

高齢障害者にも光を

高齢社会における「自立した生活」―英国における障害者への支援―
http://www.mizuho-ir.co.jp/column/shakai080513.html

障害者が自立して生活していくというのは、現状では難しいようである。
高齢者であればなおのこと。

本文では、(イギリスが出した報告書において)「そこで障害者が「自立した生活」を送るためには、日常生活に必要な支援へアクセスできることや、各種サービスの選択や管理を障害者自ら行なえることが重要である。これらを満たして「自立した生活」になると指摘されている」とまとめている。
そのために、障害者が自分の状況に応じたサービスの情報提供を受け、最後は自分でサービスを選択する仕組みを、イギリス政府が用意するという計画があるようだ。
費用負担ははじめは増えるが、長い目で見ると負担軽減につながると、調査にはある。
「予防に向けたサービスや個人に適合したサービス提供によって、医療・介護費の抑制を期待できる」のが理由のようだ。

報告書では、高齢障害者の社会活動参加にも触れている。
筆者の分析では、「英国は、障害のある高齢者が能動的に活動できる社会に変えることで、高齢化を乗り切ろうとしているようだ」とある。

最後の段落にある、「高齢者が多い社会は、障害のある人が多い社会でもある」はやや短絡的でなんともいえないが、「障害を活動の妨げとしないために公的支援はどうあるべきか、まずはビジョンが求められている」については同意できる。
また、「縦割り行政の弊害」に触れ、「国の計画書は、保健省、交通省、雇用年金省など6つの中央官庁が一緒になってまとめたものである」ことを指摘している。
上記記事の筆者の文を借りれば、「ビジョンを構築して省庁を束ねていく点で、まさに政治の力が試されている」。

とはいえ、残念ながら、日本においては「縦割り行政の弊害」が依然として残っているようだ。
各省庁は様々な報告書を出しているが、連携して報告書を作ったという例は私の知る限りなく、まだまだ各省庁が独自に動いているというのが現状だ(私もとある仕事で某施設を訪れたとき、1つのテーマについていろいろな省庁が訪問してきた、という話を聞いた。1つの例だけで判断するのは近視眼的であることは承知しているが、縦割り行政の弊害が依然として残っているとの指摘を裏付けるものではある)。
障害者の問題に限らず、いくつかの省庁が連携して何か1つのテーマに取り組めば、多くの人たちをいい意味で巻き込むことができ、よりよい解決策を作り出すことにつながるだろう。

最近、私は映画版「1リットルの涙」をDVDで観た。
その中で、障害者は誰かに頼らなくてはいけない、主人公も「社会の役に立ちたい」うんぬんのくだりが出てきた。
社会に出たいという障害者はいるが、現状は難しい面もある。
障害者それぞれで事情は異なるが、障害が重くて社会参加自体が難しいこともあれば、障害者の社会参加を促す仕組み、あるいは健常者の理解が進んでいないなど、問題点を挙げればきりがないだろう。
特に、生まれつきの障害者に限らず、成長の過程で、あるいは高齢者になってから障害者になった方も含め、社会で生かせるものを持つ障害者は数多いだろう。
そういった方たちを生かすことは、ダイヴァーシティ(多様性)により社会の活力を生み出そう、という動きにも通じる。

そのためには、医療費の負担とも絡む問題ではあるが、障害者への支援をもう少し増やすと共に、社会参加を促すことにも取り組む必要があるだろう。
ただし、税金の無駄遣いをなくしてもなお財源が確保できないのであれば、増税も必要となる。
とはいえ、同じ増税であってもこういった方面に「確実に」使われるのであれば、受け入れられるだろう。

後期高齢者医療制度が「貧しい人への負担を強いるもの」と批判されているが、それと同じことを障害者、特に高齢障害者に対して行ってはいけない。
もし行った場合、遠い将来、自分が高齢障害者になったとき、自分の首を絞めることになるだろう。
とはいえ、高齢障害者はなんともいえないが、社会保険料を自分で払っても十分な生活が送れるくらいの収入が得られるほど、障害者への社会参加が進めば理想ではあるが、その道は遠い。

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